人は将来起きることに対して、とにかく楽観的であるということらしい。別に確固たる理由があるわけではない。でも「どうにかるだろう」と思ってしまう。それが先のことであればあるほどこの病は重い。

その結果どうだろう。日本の国債による負債は世界で一番だ。それでも毎日は平穏に過ぎてゆく。だから余計「そんな先のことを考えてもしょうがない」という思いがいよいよ強化されてゆくのだ。

 

しかし、今回ばかりはそうでも無いようだ。この本による警告だけならまだ楽観的のままでいられる。しかし、仕事帰りの電車は高齢者でいっぱいだ。会社はどんどん保守的になってゆくように思える。いまや「イノベーション」は中国の専売特許だ。地下道やビルの片隅には擦り切れたような、なんとも言い難い疲労感がこびりついている。

これが急速な人口の高齢化というものなのだろう。そしてこれは加速している、あと20年もしたら日本はどうにも行きゆかなくなるということもあながち脅しではないように思える。

 

一方、そんなことはないさ、日本はいままで数々の苦難を勝ち抜いてきたんだ。最近ではバブルだって乗り切ったじゃないか。今までどおり頑張ってゆけばよいじゃないか、そう言う人もいるだろう。

でも、これは行動経済学などでいう、「決定麻痺」「現状維持の傾向」であったらどうなるのだるのだろう?

私達は変化をあまり好まない。歳を取れば一層その傾向は強まる。生理学的なものもあるが、いままで積み重ねてきた年輪が逆に重荷になってくるのだ。

過去の知恵を捨てる、地位を捨てる、安定を捨てる、こういうことがどんどん出来なくなってゆく。

 

あと20年。

そこで、単なる悲観論などでなく、「プレモータム」で逆算してシナリオを考えてみた。と、その可能性の高さをひしひしと感じた。いや、さらに、20年ではなく10年、15年でこういう破綻が訪れるようなシナリオが見えてくる。

そして、問題の共通のポイントは私達の、「どうにかなるだろう」ということに尽きる。議論は永久に続く。何も実行されない。

私達は、崖っぷちに立っているのだろうか?