人生を後悔したことがあるだろうか?
ある。その最初は大学受験だった。
そして、この受験というシステム、いい加減にしろ、と言いたい。

たかだか16,7歳の子供に残り70年の行き先を決めつけるシステムだからだ。
例えば、文系?理系を決めさせる。将来、エンジニアになりたくなるかもしれない。営業センスがあると気がつくかもしれない。しかし、理系として文系として大学のコースを選ばせる。一生この決断はついて回る。

思い起こせば、小学校の時は工作が大好きだった。エンジン付き模型飛行機を作って飛ばした。友達と高いラジコンボートを水没させてしまったこともある。工作と美術はいつも満点だった。
しかし、高校二年制のとき、数学に挫折した。
数学のテストで出る問題を繰り返し根っこから考えてしまう。数式を使えばすぐ解ける。でも、この解法を覚える、ということにどうしても馴染めなかった。何回も根っこに戻ってしまう。だから試験時間に終わらない。成績は落ちる。結局、数学のセンスが無いと諦め、文系を選んだ。

数十年たった。皮肉なことに、今はプロダクトマネージャーをやっている。ITシステムや製品を作る仕事だ。そして今、人工知能がこの世界を根本から変えようとしている。インターネット以来の革命が来ている。
よし、AIベンチャーを始めるか、なんて思う。しかし、自分は文系だ。コードが書けない。出来るエンジニアに頼ることになる。でも、こういうスタートアップ、事業を推進する本人が主戦場に参加できないことはよろしくない。
そういえば、ホリエモンだってエンジニアだった。古くは本田宗一郎も天才技術者だ。スティーブジョブだってコードくらいは書いていた。ああ、俺も理科系専攻だったらなぁ、なんて思ってしまう。

こう言うと、「あなたのやる気しだいで、やり直しは出来るでしょう?」なんて声が聞こえてくる。そりゃそうだ。アメリカ、カナダなら特にそうだ。一方、終身雇用が幅を利かし、保守的な日本は、まだ人生の軌道修正に寛容と言えるのだろうか?

そうすると、高校生のあのときの決断は、あまりに重い。
より良い判断のために、例えば、インターン的でも良い。人生の本番とも言える社会って何?それを知る機会を用意すべきではないだろうか?
つまり、そんな彼らに、後悔を回避できる判断が出来る方法、やり方、を教えるべきでないだろうか?

人生を賭けたプロジェクトに失敗はしたくない、させたくないと思う。