ある大学のサイトを見た。よく考え込まれている。面白い。そこで、別の大学の告知もみた。
多くの学校が「グローバル構想」を掲げ続けている。でも、大学のグローバル構想ってなんだろう?
グローバルといってもいろんな解釈がある、やり方だって様々に違いない。その意味は、まさしく獏として、とらえどころがない。

例えば、ファイナンシャルタイムスの大学ランキングトップ10に入る、的なことなのか?
研究機関としてノーベル賞受賞者を輩出することか?
留学生を招き、英語で授業を行うことか?
卒業生に海外で就職をしてほしい?

こんなふうに書いてみて、自分のイマジネーション力の貧困さにがっかりした。大学の目指すところはこんなものでないに違いない。

世界に打って出る大学、そのビジョンや構想。そこまで考えて、気がついたことがある。
日本は戦後から、貿易立国だった。世界に冠たるものづくりと品質の国である。その力でここまで来た。企業はグローバル相手に頑張ってきた。 
ところが、現在の日本の製造業の有り様を見ると、心配してしまう。というのは、あるコンサルタントの方かの言葉が思い出されたからだ。

「日本の地方銀行は崖っぷちどころでない」

彼いわく、地方銀行は地場の企業に融資して稼いでいた。しかし、バブル以降、金利はゼロ、利幅はギリギリだ。それだけでない。もはや地方に融資先は無いのだという?
どういうことだ?
空洞化が行きついたのである。今や工場はほとんど海外に行ってしまったあとだ。そして、地方での企業投資は施設への投資が多かった。例えば工場などだ。
同じ感触を数年前感じた。「ふるさと納税」をやろうと返礼品を探していた時だ。

「さとふる」などのふるさと納税サイトを見ていただければわかるが、殆どが第一次産品かサービスだ。電化製品、電子製品などの工業製品は殆ど無い。つまり、日本国内ではもはや作っていない、というこ戸にならないか? そして、製造してないのなら、工場はいらない。建てないのなら日本国内で資金調達はしない。銀行から融資は不要だ。だから地銀は苦しい。融資先がないのだ。それでも無理に利益を出そうとすると不正も起きる。

日本はとっくにグローバルしていた。その波が一周して大学のメッセージになっている。今度は人材の空洞化が本格化するのだろうか?