Thomas Gilovich (Professor of Psychology,Cornell University)  によると
現実自己
理想自己
義務自己
の3つの自己があるそうです。
それは「自己不一致理論」と呼ばれています。

もう少し、詳しく見てみましょう。

現実自己:現在の能力や属性に基づいて、自分はこうであると考える自己。

理想自己: いつの日か獲得したい能力や属性、要するに、目標や機能、願望の自己のことです。言い方を変えると、私たちは自分の人生を評価するとき、理想の自己に向かって歩んでいるか、なりたい人間になりつつあるか、を考えます。そして、もし私達がこの理想に到達出来ない場合、「後悔」をするのです。特筆すべき所は、理想自己とのギャップによって生じた後悔は、いつまでも心を離れることがないようです。我々が過去を振り返って痛みを感いるのはこのタイプの「後悔」です。

義務自己:義務や責任の観点から自分はそうあるべきだと考えている自己。「義務」が実現出来なかった、そして現実とこの「義務自己」との段差は、まさしく段差にすぎません。またいでしまえば通り過ぎてしまえるのです。時間が経てば受け入れることも出来ます。米国などでの調査からも「やむを得なかった」という自己合理化をしやすい理想だそうです。

これがそのとおりだとすると、人はなぜ「後悔」し、どうしてそれがいつまでも痛みになって心に残るのか?傷つく経験と受け入れられるチャレンジの違いはどうして生まれるのか?
それは、自分がもつ自己のタイプに違いがあるからでしょう。

では自分はいったい「理想自己」を追い求めているのか、それとも「義務自己」を押し付けられているのか、これが区別できない人はどうすればよいのでしょうか?
多くの場合、このほうが自然だと思います。例えば、大学受験のとき、果たして自分はこの大学に本当位行きたいのか、それとも親や先生が「有名だから」「偏差値が高い」などで押し付けているか、区別がつきにくい。その場合、本当に頑張らなければいけない、失敗したら酷い後悔担ってしまうような勝負どころ、それを判別する方法はあるのでしょうか?
(ここからは実験などで明らかにされていないことはご了承ください。)

まず、理想が見えない人はどうすればよいのでしょうか?例えば、夢見る将来の自分の姿が「理想自己」ならば、実現出来なかったたとすると、苦い思いをするのではないでしょうか?

そこでプレモータムの出番です。あなたの夢見る未来を検証してみましょう。手順はこうです。

①その理想が、未来の時点で失敗したと仮定する
②そこに至る失敗のストーリーを描いてみる
③そのとき、強い感情的「後悔」を感じた場合、それはあなたにとっての理想自己である可能性が高いと思います。一方、冷めた目で「もっとうまくできる方法はあるな」とイメージされる場合は「義務自己」である可能性が高いのです。

ここで面白い研究があります。「未来に失敗する可能性がある」と想像した場合、人はこの痛みを避けようとして保守的になります。これは「後悔回避」といいます。
一方、過去を振り返って「これをやっておけばよかったかもしれない」と感触をもつ後悔は「期待後悔(Anticipation Regret)と呼ぶのです。
更に、実行しなかった後悔は、長期的な記憶領域に保存されるようです。この場合、「やらないで後悔するより、失敗して後悔したほうが良い」という考え方に通じるのです。

ちょっと脱線しましたが、今回「理想自己」に照らし合わせてみましょう。
「理想自己」はこうなってほしい
「義務自己」は実施しなければならない

ここでおわかりでしょう。
「理想自己」は「期待後悔」を生み出します。
一方「義務自己」は「後悔回避」に結びついているのです。
これがどういうことかというと、「リスクはある、でもなってみたい」という夢は理想自己であり、やらないと後悔するのです。
一方、「良い大学に入らなければだめだ」という考えは義務自己であり、保守的態度をもたらします。そして必敗しても「もっとうまくやっておけばよかった」と思うことはあるかもしれませんが、その傷は容易に自己正当化されて、癒やされてゆくことになります。

いろいろ書いてきましたが、プレモータム的な立場からまとめると、自分の理想をプレモータムを使って検分してください。そして「もっと確実に立ち回る」ことが興味の関心となった場合、それはあなたの夢(理想自己)でありません。
一方「どうして?理不尽じゃないか」と言いたくなったら、それがあなたの夢ではないでしょうか?いかがでしょう?