もし、第二の人生を送れるなら、どんな風に生きたいのか?というインタビューを朝のテレビ番組で流していた。場所は渋谷やショッピングモールなど。学生、若い夫婦達が気軽に答えている。例えば大学生の男子は「アルティメット」というフリスビー競技で負けてしまったそうだ。だからもう一度リベンジしたいという。別の夫婦はプロポーズのやり方を間違えてしまった、だからもう一度かっこよく決めたい、とのことだった。

こんなに簡単にやり直したい行き方って話せるの?ちょっとした驚きだった。

自分にとって、この「やりなおしたい」は「後悔」につながる。インタビューすると気軽に出てくる重さのものじゃない。

だから、もし自分が「やりなおしたいですか?」と聞かれたら「後悔はありますか?」と自分の中で翻訳し、「ああ、重たいなあ」と思った挙句


「しないようにしてます」

「したことがありません」なんて答えると思う。


この自分と朝の番組のギャップって、一体どう言うことなのだろう?

流石に勝ち負けのあるスポーツで起こることは、分かる。あの世界では、しょっちゅう厳しい勝ち負けが起きるからだ。


一方、日常では?そこでは「勝ち負け」はあまりはっきり起こらないんじゃないと思う。そして、勝ち負けがはっきりしないと人間って「後悔」という感情を持たないのかもしれない。 さらに、先のプロポーズのやり方の例のように、勝ち負けではないが、一生に一度の強度がものすごく高いことが条件なのだろう。


個人的な感想だが、はっきり度合いx強度x希少度 がある閾値を超えると後悔になるのだと思う。そして、条件が整った時、記憶に焼き込まれ、挙句、第二の人生を夢見る。そうでないものは「後悔」という衣を着ているが、むしろ「やっちまったな」程度の凹む感情だろう。(じゃないと体がもたない)

だから後悔したくなければ、一発勝負を決める時、負けてはダメだ、と言うことだ。それ以外は「失敗しちまったなぁ」としてしまって、苦い気持ちはその辺の川に流してしまえば良いのだ。それが健康な心で幸せに生きるコツだし、世の「失敗は金を払ってでもしろ」という戯言に対する回答になるのだろう。もちろん、アホじゃない限り、「やっちまった」なら教訓にして同じ轍を踏まないことだ。そうすると凹む経験も糧になるし、それが積もれば一生に一度の瞬間に勝ち残ることができるだろう。

いや、そうに違いない、そう期待したい。