自分の肩書きは副社長だった。時代はドコモのi-Modeが花咲き出した時だ。そして、自分たちは、今で言うモバイルアプリの先駆けを夢見ていた。三十名のメンバーと一年半を費やしたその経験は人生を変えるのに十分なものだった。
ある日のことだ。
「おい、見たかよ、こんな手抜きのサービスで月三百万だとさ」「どこまでJAVAで組んでいるのかな」「コミュニティがロケットスタートの鍵だ」ビジネスリーダーのゴンちゃん、JAVAエンジニアの大田くん、イギリス人のプログラマー、ジョンが携帯の画面を覗きながら言う。
(JAVAとはプログラム言語の一つ。携帯などの端末から、銀行向けのような大規模なシステムまで効率的に対応できる。但し、高度なプログラムの知識と経験を要求される。)
当時私達は、JAVAでサーバーアプリケーションを開発する会社にいた。インターネットの登場で、ビジネスアプリケーションは大きく変わりつつあった。例えば、いろいろな業務アプリがウェブサーバーで動かせるようになっていた。それまで企業は、なにかシステムを作ろうとする場合、システムインテグレータなどに委託していた。インテグレータは企業の要望をいちいちお伺いを立て、時間をかけてアプリケーションを一から開発してゆく。それから、社内にサーバーを立て、社内向けに業務アプリケーションとして動かしていた。
ところが、インターネットが普及するに連れ、社内のシステムとインターネットの垣根が崩れてきた。これまでは、社内業務向けシステムとは独自のシステムで、会社内にサーバーを設置して使っていた。実際に処理している業務は実は他の会社で使っているシステムとあまり変わらなかったりした。ところがインターネット時代になると、会社の外に設置した、出来合いのアプリケーションをインターネット経由で社内システムとして共通使用するという利用することが多くなってきた。さらに、インターネットの導入により、より色々な使い方ができるようになった。 その結果、今までになかったような多くの使用者がアクセスするシステムが開発依頼されるようになった。そして、そのアプリケーション自身もJAVAという、よりインターネットになじみやすい言語で書かれることが要求されるようになって来たのだ。
この流れに伴ってコールドフュージョンやPHPなど、新しいフレームワークがどんどん開発され、大規模ウェブサービスもプログラムできるJAVAも脚光を浴びるようになっていた。これはこれで、一攫千金とは行かないまでも、大きな夢が広がるビジネスだった。
(サーバーアプリケーションとは、顧客管理システムや、受発注システムなどの業務を動かすシステム。共通業務のため、個人のパソコンでなく、大きなサーバーで稼働させるためサーバーシステムと言われる。
システムインテグレータとは、会社の業務に必要なコンピュータシステムを受託開発するシステム開発業者の事。
コールドフュージョンとは、様々な使用方法に対応できるウェブシステムを効率的に開発することができるプログラムの一種。JAVAエンジニアにとって使い易い仕様になっている。現在はAdobeシステムが販売している。
PHPとは、コールドフュージョンと同様なインターネット上で使うウェブシステムを効率に開発するためのプログラムの一種。特定の会社の製品ではなく、オープンソース(エンジニアがボランティアで協力して開発する)のプログラムである。
フレームワーク:コンピュータシステムを効率的に開発(プログラム)できるようにするために作られた機能や仕組みの集まりのこと。)
この会社の中には主に三つのグループがあった。ゴンちゃんの率いる社会人向けのビジネス会員サイトを開発し、自分でも社会人向け会員サイトを展開するチーム、サムの音楽系ソフトウェアを開発する外人主体の部隊、そして自分が属する人材企業向けのサーバーアプリ開発チームだ。
※改行
この会社には、自身がプロのミュージシャンでもあるサムや、天才エンジニアのジェームズをはじめとして、不思議で個性的なタレントがゴロゴロしていた。そして、このベンチャーを率いるのは野心あふれる(あふれすぎて困ることも多い)ニュージランド人実業家テッドである。
「どうやら、今度の投資先はいけそうだ」
ゴンちゃんが話す。
「テッドは天才的に口がうまいからな」
とウェブエンジニアの今田くん。
話に加わっていた私も「で、何をやるんだい?」と聞いてみた。
間髪を入れずテッドがそれに答える。
「モバイルアプリの開発だ」
この当時 ドコモが引き起こした携帯アプリの革命はテッドにとっても、大きな鉱脈に見えたようだ。
信じられないかもしれないがアップルのi-tunes やグーグルPLayのモデルは既に十五年前の日本で普及していた。そう、時はi-Mode全盛時代だ。ドコモが実現した新しい情報提供の仕組みはまさに革命だった。日本中が夢中になっていた。今で言う、スマホとI-Tuneストア+I−アプリストアの先駆けだ。話すことが主な機能だった携帯電話にネットの機能が突如追加されたのだ。皆がドコモの公式サイトにアクセスし、着メロをダウンロードし、占いサイトで一喜一憂し、ニュースを購読していた。毎月三百円程度の購読費でも数百万のユーザが購入するとあっという間に毎月数億のビジネスになる。まさに夢の時代の幕開けだ。
そして、まっとうなIT系のビジネスマンは、もっと多くの可能性に気がついていた。というのは、この当時の携帯電話の性能は既に初期の頃のパソコンを凌駕していたからだ。つまり、パソコンがどこにいてもネットワークにつながっていて、おまけに手のひらに収まるような時代がもうすぐ手が届くところまで来ていたのだ。
更に驚くことにアプリやサービスを安心して月額で販売する仕組みが組み込まれている。もしかすると、ちょっとした思いつきも莫大な利益を生むかもしれない。そんな夢を掻き立てるサービスのプラットフォームが突然現れたのである。
そして、その舞台で踊るためにはサーバーの開発と、そして携帯の上でアプリケーションを動かさなくてはならない。キャリア側も心得ていて、そのための情報や、新機種のロードマップを発表して行った。そして、自分たちもその流れに乗りたいと思った。
いや、自分たちこそ、ふさわしい存在である、と何の疑いもなく信じていた。
何故なら、この当時、ドコモの成功ぶりは、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのだ。その余勢を買って、ヨーロッパやアメリカに次々と進出し始めていた。このまま行けば、全世界にi-Modeが展開され、そこにアプリを提供出来る会社は全世界的な規模で利益をものにすることができるはず、と誰もが簡単に信じることが出来たのだ。
そして、私達には、投資家を納得させられる強みが三つあった。まず、優れたJAVAエンジニアがいること。既にコミュニティサイトを運営していて、一万を超えるビジネス会員を持っていたこと。更に、この会社の七割がアメリカ人やニュージランドなどのエンジニアで構成され、母国語が英語であり、僕のような日本人社員たちも当たり前だけど英語が得意であることだった。
翌週、ちょっとした打ち合わせがあり、テッドとゴンちゃんと出かけた。ちょうど山手線が原宿を出たあたりだった。
二人に「投資はどんな感じだい?」と水を向けてみた。
「もう最終のビジネスシミュレーションを見せているよ」とテッド。
ゴンちゃんは「相手の担当者のNさん、あんな大会社なのに投資案件をまかされてすごいよね、切れ者だよ。馬があう」
「ふーん・・・」大きなビジネスに関わっている彼らに、ちょっとうらやましい私。
さらに一週間がたった。今田くんがやってきた。
「決まったみたいだよ」
「え?」と自分
「投資だよ」今田くん
「おお、いくらゲットした?」思わず聞いてみた
今田くんは少し興奮気味に「一・五億らしい」
「で、俺たちどうする?」と自分
当たり前だろうという顔をして今田くんが言う、「勝負かけたけりゃあ、サイン一発だ」
そして一ヶ月後、私達は総勢三十名、新しい船に乗ってビジネスに乗り出したのだ。
(次のブログへ続く)
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