(前回より続く)
もう遅いかもしれないが、やるしかない。すでに出来上がっているいくつかの製品を手に、見込み客リストを片手に片端から電話をかけ、足を棒にして営業しまくった。勿論、注文なんぞそんなに簡単に取れるわけない。ほとんどは電話で断られ、「いやいや、売り込みじゃないですよ、調査なのです」的な言い訳でなんとか担当者につないでもらっても続かない。二件ばかり会ってもらえたが、そこで終わってしまった。6ヶ月ほど営業活動に悪戦苦闘した。その間にも、会社の預金残高は冷酷にもどんどん減っていく。もう、どうにもならないことが誰の目にも明らかになってきた。
もう遅いかもしれないが、やるしかない。すでに出来上がっているいくつかの製品を手に、見込み客リストを片手に片端から電話をかけ、足を棒にして営業しまくった。勿論、注文なんぞそんなに簡単に取れるわけない。ほとんどは電話で断られ、「いやいや、売り込みじゃないですよ、調査なのです」的な言い訳でなんとか担当者につないでもらっても続かない。二件ばかり会ってもらえたが、そこで終わってしまった。6ヶ月ほど営業活動に悪戦苦闘した。その間にも、会社の預金残高は冷酷にもどんどん減っていく。もう、どうにもならないことが誰の目にも明らかになってきた。
時がたつにつれて、各グループの間の関係も更に悪くなっていった。そりゃそうだ、儲かるチームもあればそうでないところもある。稼いでいる者にとって、そうでない奴らは文字通り穀つぶしだ。言葉も荒くなる。自分のチームはその稼げない方だった。なんとかしなけりゃ、と受注に走り、採算は更に悪化する。エンジニアは不眠不休で働く。しかし、ポンコツのバケツからは現金という水がどんどん漏れてゆくばかり。ついにバケツの底が見えてきた。
結局、幹部は給与ゼロ、エンジニアの給与支払いも大幅減額した(奥さんからは、どうして今月も給与振込がないのよ、といわれた)。藁にもすがる思いで公共の投資案件を見つけると、提案書を書きまくった。しかし、この段階では全てが焼け石に水だった。資金の最後の一滴も蒸発してゆく。会社の雰囲気も最悪だ。思わず口にする言葉も、全てがトゲトゲしくなった。
伊達社長には、家をカタに入れてでも借金して下さい、どっか投資家のつてはないんですか、と迫った。答えはない。
そして、とうとう営業担当者、エンジニア、など創業以来、苦楽をともにしたメンバーを一人ひとり応接室に呼ぶことになってしまった。
反応はそれぞれだった。ウェブデザイナー兼エンジニアのAさんは、「ああ、そうでしたか、時間の問題と思っていました、気にしないでください」と言って去っていった、営業のBさんは、「え」「こんなに頑張ってきたのに、なんで僕なのですか!」彼には目を合わせることが最後までできなかった。こうして次々にリストラをした。なんとか生き延びよう、そうすれば、そうすれば・・
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