それからだ、MBAについて調べ始めた。

どうやらまともにアメリカのIT業界で働くためにはMBAが大卒の学位と同じレベルで必要なようなのだ。ビジネスの現場での会話はその知識ベースがあることを前提で進んでいる。勿論、こういうことは表面には出てこない。だからこそ、必要だし、効果的なのだ。
そこで見つけたのはEMBAというもの。
内容はMBAに近いが、生徒の年齢が高い。働きながら二年間で学位が取れる仕組みになっている。そこでの卒業生のコメントに、「信じられないくらい経験豊かなクラスメートとトップクラスの教授が素晴らしい体験をさせてくれた、どうやってビジネスがうまくいき、行かないのか、普段では得られない教えがある」とあったのだ。

そうか、もしかすると、あの苦い思い出に対する答えもそこにあるのかもしれない。かつて一億五千万円の資金を手にし、ベンチャーをスタートさせた。それなりにキャッシュフローのプランは作っていた。でも、予定していた案件が次々遅れ、追加投資や融資も話し合いばかりで実現しない。時間ばかりがどんどん経っていく。気がつくと、後三ヶ月で資金が尽きるところに来ていた。
自分たちの給与もストップした。奥さんは、「なんで今月の給与は振り込まれないの?」と問われた。創業以来の仲間をレイオフした。(本当に嫌な経験だ)。
一年半で一億五千万使いきり、会社は消滅した。そしてバラバラになるその時、
「おお、いつかはカムバックして成功するからな」と言って別れたことを昨日の事の様に思い出した。

アメリカで働くようになってからもその影はつきまとっていた。そう、ベンチャーの多くは日本だろうがアメリカだろうが潰れる。プランが緻密だろうが、そうでなかろうが関係ないように見える。これではそこで働く者にとって、たまった物じゃない。サイコロに人生をかけるわけにはいかないのだ。しかし、もしかすると、EMBAでは、どう丁半が振られるか、そのルールについて秘訣を教えてくれるかもしれないのだ。

そして、貯金通帳を眺め直し、英語を勉強し直し、エッセイを書きまくり、二年後の冬、UCLA-NUS EMBAに申し込んだ。入学動機のエッセイには勿論、ベンチャーの潰えた夢の顛末と希望を書き綴った。インタビューではこの消え残った情熱を訴えた(つもりだった)。

そして、入学が許された