皆さんのイメージする外資系キャリアってなんだろう?

フィットしたスーツを身につけ、ブレックファーストミーティングから毎日が始まる。ボスは外人、英語は当たり前。仕事では常に結果を出すこと。だから最高のパフォーマンスを実現するために体のケアも怠らない。ジムで体を鍛え、マインドフルネスで心を整える。

こうして、チャレンジを次々クリアし、キャリアアップし、相応の報酬とタイトルを勝ち取ってきた。

でも、組織はピラミッド型だ。上に行くほどスペースは小さくなる。勝ち上がりつづける人は減ってゆく。そうである人は良い。でも、しくじったら?

スーパープレイヤーにしても、限界がある。悩みもする。特に「ミッドライフ・クライシス」など、今までの生き方が急に色あせてくる。でも次の自分の姿がなかなか想像できない。年収やタイトルなど目に見える成功の数値はない。

先日友人とワインバーで飲んだ。そこで言われた。
「ヤマサキさん、私はいままで走り続けてきた。目標も達成してきた。でもね、今度は次が見えないんだ。生き方を変えろ、人に役立つ道を探せ、とか本に書いてある。話はわかる。しかし、私は今の暮らしのレベルを落とす気はないんだよ」

考えさせられた。

こうも思った。
「コンコルド効果」(行動経済学では「サンクコストの罠」とも言う)にはまっている。いままで積み上げてきた生き方が重荷となっている。素晴らしいキャリアであればそれだけ、代わりに差し出す新しい生き方は、同じくらい輝いていなければならない。釣り合いがとれない。

ではどうしたら良いのだろう?

プレモータム・シンキングでは心のフレーム転換をおすすめする。そのためには

①何に執着しているかを明らかにする
②その執着がもたらす未来の失敗像をイメージする(プレモータム分析)
③執着を手放した時、未来の失敗像がどう変わるか把握し、上の②と比べる。

例えば上のケースでは
「今の生活水準」がポイントに見える。
これを維持するために無理して走り続けた。しかし、失敗してしまった。例えば体を壊す。心が壊れる。あるいは仕事で大きなリスクを犯してしまう。資産運用で大失敗する、こともある。

では、生活のレベルを少し下げても良い、と考えてはどうだろうか?
いろいろな肩の重荷が取り払われないだろうか?
いや、それ以上にいろいろな選択が新たに生まれてこないだろうか?
例えば、次の仕事にしてもそうだ。タイトルや年収を下げると、オポチュニティは大きく増える場合がある。
新しい出会いや刺激をもらい、次の世界が見えてくることもあるかもしれない。
そして、そのチャンスが年収○○円の価値を超えるかもしれない。

自分も外資系PCメーカーにいたことがある。そしてベンチャーに移った。給与は下がった。最後には振り込まれなくなった(つまり潰れた)。しかし、その時の友人や、経験は自分のキャリアを大きく変えるた。
ひとそれぞれ、「これだけは譲れない」というポイントはある。
それでも「プレモータム・シンキング」で枠組みを変えて見てはいかがだろうか?


(プレモータム・シンキングの本が出ました。こちらをどうぞ)